故郷の町から市電が消えて2年が経ち、 主役を失った電車通りや忠節橋 にようやく違和感が無くなりました。 それでもまだ線路が撤去されていないので 今にも徹明町の角を窮屈そうに曲がって 赤い電車がやってきそうな気がします。 もう会えない、戻れない、あの頃 ‥‥ それは、市電が日常だった頃であり、 新岐阜百貨店やパルコが駅前のシンボルで あった頃であり、そして何よりも 実家に両親の生活があった頃であります。 2007年9月