7月31日、浜松19時43分発東京行きひかりに乗って帰路についた。名物鰻弁当(田丸屋のわさび漬け付き)をペロリと平らげ、海山の道の駅でJUMBOさんにつられて買った「熊野古道を歩く(東紀州地域活性化事業推進協議会発行)」を読みながら、長かった1日(なにせ、起きたのは朝の3時半でしたから)を振り返る。そして、浅学の私は大いなる誤解をしていたことに気づいた。熊野古道とは何ぞや? それは石畳の特定の山道を指すのではなく、伊勢神宮から熊野三山へ通じる全ての道を言うんだそうだ。東海道中膝栗毛に「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕に毎月」という一節があるくらい、熊野は江戸時代の庶民の人気スポットであった。
 
 往時の古道の賑わいを想像すると、現代の熊野新道(紀勢本線やR42)はかなりローカル風情だが、とにかく今日1日、古道を辿っていたわけだ。そして、2週連続の凸凸撮影を通じてわかったことがある。それは自分をここに引き寄せているものは、鉄路(古道)そのものであるということ。そういえば、昭和20年代、私の両親が新婚旅行で訪れたのが南紀の地、まだ全線開通前の紀勢線とバスの乗り継ぎの旅だったらしい。ひょっとして私の起源はここにあるのかもしれない。
 
 旅の途中で買ったこの本は、美しい写真や寓話も豊富でたった700円と、鰻弁当の半分の値段とはお買い得であった。感動の「相賀俯瞰」への誘いとともにJUMBOさんには二重に感謝である。‥‥と、前振りはさておき、まだ鉄の先人が創った古道を辿ってるだけであるが、私のアルバムは ⇒ ここから

 
 
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